その日の朝は緊張感とともに訪れた。

タイ滞在の最終日だ。


何度も言うが次にいつ訪れられるかは分からない。遣り残したことはないか?

食べ残したもの、見るべきもの、思い出に不足はないか?補完するなら今日が最後のチャンスだ。


その大切な最終日、俺たちが選んだことは「風俗に行く」だった。


汚らわしい、と思いますか?ひょっとして引いてますか?・・なんとでも言ってください。僕らは負けたのです。

男は日々、キンタマという不思議なズタ袋に業(カルマ)が溜まって行くのです。2〜3日は平気なのですが、やがて業(カルマ)は自分を責め始めます。


こんなに辛いのは、スッキリしないのは全部お前が悪いんだ、お前が前世で徳を積まなかったから、キンタマにこんなプレッシャーを感じるんだ、と。


こうして僕ら男は、1週間以上も溜まってしまいもはや自らの手で浄化出来なくなった業(カルマ)を菩薩の手にゆだねる事にするのです。


これを読んでもまだ「キモーイ」とか思った方。お前はドテッ腹にブッとい朱槍が刺さったまま平気でメシ喰ったりして一週間過ごせんのか!抜きてえだろが!!


・・とにかくその日の朝のシャワーは皆普段よりも長かった(当社比)。


まだベッドに横になっていたテケレツが、最終日のプランを聞いてある疑問を投げかけてきた。果たしてそれは旅の根底にかかわる重大な問いだった。


 「なあ、俺ら、ツアーで来たんだよな。・・いつやんの?ライブ。」


ケツにオオアリクイの舌がねじ込まれたかと思うほど、俺の背筋に激しい悪寒が走った。忘れていた!


移動、酒、ボブ草などに気を取られ、音楽の事などミジンコほども思い出さなかったのだ!

 

蒼ざめる俺を尻目にテケレツが続ける、


「俺さ今の仕事場辞める時に、海外でライブやるからって言って無理やり辞めたんだよね。まあ確かに二度と会わない奴らだけど、なんかね・・嘘はつきたくないって言うか・・」

「くだらねえこと吹いてきやがったなあ、このクソは!」


二日酔いの朝の満員電車のように、喉元まででかかったモノを何とか飲み込んで、代わりにうへえと言ってごまかした。


「タカシーノさん。アンタはやるだろ?下らない女なんかにうつつを抜かさないでサ、一生の思い出を・・ライブハウスがダメならスタジオ取ってスタジオライブでも・・」

「・・口を閉じろ。・・そして黙って俺たちを行かせてくれ・・」

「・・え?今なんて・・?」

「俺は・・ライブはしない・・。」

「はあっ!?見損なったよ!何言ってんだよ!?マンコなんていいじゃねえか!俺たちはミュージシャンだろ?」

「うるせえッ!!ミュージシャンである前に俺は人間だ!マンコが見てえんだよ!」


水を注したかのような沈黙、部屋の奥で小さな声でタグッツォが「名言だ・・かっけ〜」と呟いているのが聞こえた。


床に泣き伏せるテケレツ、その背中が余りに哀れなので俺は仕方なく約束した。


「なあ、今まだ昼前だろ?ちょっと行って夕方前には帰ってくるよ。その後サイアムで待ち合わせしてスタジオライブやろう。帰国の飛行機は深夜1時だから十分だろう?」

「エグッ!エグッ!ホント?ほんとにライブできる?」


ガキをなだめるには取り合えず約束に限る。ああできるとも!とロビン・ウィリアムスの

笑顔でテケレツを懐柔することに成功。これで心置きなくファックできるぜ!!


結局午後七時にマーブンクロンの前にと告げて、テケレツと八雲はカオサンに消えていった。最後の買い物をするらしい。


 「さあ・・さっさとタクシーでもとッ捕まえようぜ。」


今日の目的地はラチャダービセーク通りというところだ。ここからはおそらく新宿〜西川口くらいの距離があると思われる、まあおおよそ車で1時間以上かかる遠い場所だ。


そのラチャダーには、早い話ソープが鈴なりに並んでいる。どこを歩いてもソープソープソープという、ディズニーランドよりも多幸感溢れる場所だ。


その中に今日俺たちの目指す「ポセイドン」という老舗ソープがある。ラズベガスのカジノを髣髴とさせる豪華な外装のビルはなんと12階建て!アホか!


完全に外国人観光客に向けての営業なので性病等のチェックも厳しく、その徹底した安全対策がむしろ老舗の所以か。

もっとも値段も外国人向けなので、屋台でパパイヤ売ってる奴の月収分くらい、いやそれ以上はかかるけども。


まあ、金で安全が買えるのなら安いもんだ。そういう場所に行き慣れていない俺たちにとっては、ボッタくられないという確かな保証も有難かった。


 「・・・しっかしタクシー来ねえなあ・・」


パクチィが呟いた。確かに、かれこれ三十分以上も待っているが殆どが乗車済みか、乗車拒否だ。なぜか目的地を告げると皆手を振って他を当たれ、と言うのだ。


 「クソッ!これじゃせっかくシャワー浴びてきたのにまた汗かいちまうよ!」

 「いいじゃねえかこれからまたフロに入るんだし?ガッハッハ!」


朽犬の小汚いオヤジのような笑いが皆を和ませる。普段ならすぐにイラつくメンバーも、今日ばかりは上機嫌だった。

しかしこれが、これからの長い旅路の中でメンバーが上機嫌だった最後の瞬間になるとはこの時誰も気付いてはいなかった。


この日記の中で何度も書いたと思うが、バンコクの昼はとにかく暑い。

島のように風通しが良い訳でも海が近くにあるわけでもなく、ましてやこの妊婦の便秘のような渋滞の排ガスによって引き起こされるヒートアイランド現象がそれに輪をかけている。


 そう、そもそもこの渋滞が曲者なのだ。 


バンコクの交通事情はとにかく酷い。

朝九時出社の人間が八時に家を出ても渋滞で間に合わないので、六時半頃に家を出て渋滞前に到着し、会社で寝るということも多いのだとか。

山手線のような環状線がつい最近まで出来ていなかったからだと思うが、皆が皆バスかタクシーかトゥクトゥク(オート三輪)を使うのだから、確かに道路も詰まるというもの。

その酷い渋滞の時に、わざわざクソ遠いラチャダーまで俺たちを乗っける好き者はいない、ということだったのだ。


結局タクシーが捕まったのが一時をだいぶ回った頃、部屋を出てから実に1時間近くもタクシーと交渉していたことになる。


ところが、このタクシーがまたクソの中のクソ!この殺人的な暑さの中でクーラーが壊れてやがったのだ!


おまけに走り始めて五分で別の渋滞につかまって、窓から全く風の入ってこない状況に!


 「おい・・これはやべえぞ・・サウナより熱くねえか?」


それもそうだ。この狭い社内に運転手を入れて五人も詰め込まれてんだ。

てか、そのタイ生まれタイ育ちの運転手にすらこの暑さは耐えかねるらしく、ハンドルにもたれ掛かって首振ったりしちゃってるもの!


 「プッ・・クククク・・ヘェラヘェラノォホノォホ!!!」 


タグッツォが奇妙な笑い声を上げたかと思うと、やおらTシャツを脱ぎ始めた!


 「な・・!気を確かに保つんだ!!生きてもう一回OAAPIを拝もう!」

 「ちげえよ!俺の席は直射日光が当たるんだよ!」


そういって脱いだTシャツを窓に当ててカーテン代わりにするタグッツォ。しかし悲しいかな、この地獄の釜の底ではスズメの涙ほどの効果も上がっていないように見えた。


 「パクチィ、降りよう!もう限界だ!降りてタクシーを捕まえなおそう!」

 「降りる?降りるってどこに?ここがどこだかわかってんのか?この中途半端な場所からじゃ、カオサンに帰るのにもまたタクシー捕まえなきゃいけないんだぜ?おまけに店もコンビニもねえ住宅地で飲み物も買えやしねえ!せめてマーブンクロンまで行かなきゃ逆にアブねえんだよ!いいか、もう俺たちの後退のネジは外れてんだよ!」


勢いに気おされたが確かにパクチィの言うとおりだ。女を抱くのに楽な道はない。俺たちは再び歯を食いしばり黙ってこの地獄に耐えた。


どれくらいの時間が経ったのか、それを知る者も尋ねる者ももはやいなかった。

服は下着まで汗で濡れ、虚脱した表情で座る俺たちはまさに強制収容所のそれと大差なかった。


俺はと言えば、もはや脱水症状を起こしかけていて、手足が痺れてくる始末。と、そこで奇跡的にも前方に待ちに待ったコンビニエンスストアを発見した!


「もう限界だ!ここで今すぐおろしてくれ!俺はもうだめだ!このままじゃマジで死ぬ!水!水をくれッ!」


そう叫んだつもりだったが、実際にはボソボソと口から漏れただけだった。皆も限界らしくもはや誰も反対する者はいなかった。


タクシーを止めて俺たちはコンビニに飛び込んだ。

効きすぎ、と言うほどにキンキンに冷えたクーラーの中、俺は冷たいコーラを買って一気に飲み干した!生き返る!


おのおのの水分補給を終えて時計を見ると、もう三時を回っている。

渋滞を考えてもここからポセイドンに行って、女と楽しんで、七時にマーブンクロンの前に集まるのは時間的に不可能だ。


 「残念だ・・仕方ないけど、ライブの約束もあるしテケレツに電話すっか。」

 「そうだな、今からマーブンクロンに呼び出して、合流しちまおう。俺たちは飯でも食ってようぜ」


店の主人に宿のカードを渡して電話を掛けてもらう、部屋番号を告げると八雲が出た。


 「おー!早かったね?もう終わったの?」

 「いや、いくら俺が早漏だからってそれはないですよ、実は今サイアム近辺にいるんですが・・」


唾を飲み込んで俺は続けた。


 「・・テケレツに伝えてもらえますか?ライブは中止だって・・待ち合わせには行けなくなったって・・」


後ろで見ていたパクチィが息を呑んだ。最初から二足のわらじを履いていたからダメなんだ。覚悟、俺たちにはそれが必要だった。


 「・・テケレツ・・悲しむよ・・」

 「止むを得ませんな。恨み言なら日本で聞く、と付け加えて置いてください。」


心残りも片付けて何とか人心地がついたメンバー。

一時間以上も暑いタクシーの中で蒸されて、とうとう我慢できずに下車したこの場所は、ようやくマーブンクロンに着くか着かないかといった所だった。


 「距離で考えれば、とっくにラチャダーに着いてる時間なのにな、全くバンコクの渋滞ってのは膣ケイレン見てえに厄介だな!」

 「しかたねえよ、ここの奴らはイラつきながらも誰かが何かしてくれるまで改善しようとしねえんだろ?全く誰かさんみてえだぜ・・」

 

パクチィの皮肉に噛み付く気力すらもなくなった俺は、目の前の階段を指差して言った。

 「しかたがねえ、これ使おう。」


それはBTAと呼ばれる、バンコクの渋滞対策の一つとして近年作られたスカイトレインだ。

もっとも工事が全くはかどらず、未だにサイアム近辺の都市部でしか利用が出来ないうえにタイ人にとっては値段も決して安くないので現段階であまり効果を上げたとは思えない。

てか、早く完成させろよ。


切符を買って、丁度ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。クーラーが効いて実に快適だ。

こぎれいな内装はディズニーランド用列車、ディスニートレインを髣髴とさせる。


 「早くこれに乗ればよかったな!全く快適だぜ!ラチャダーまでこれで行けるのか?パクチィさん?ポセイドンまで後どれくらいなんだ?」

 「いや、アソークってとこで降りてそこから地下鉄だ・・それよりあんまりデカい声でラチャダーとかポセイドンとか言うな・・」

 「何でだよ?別にいいじゃねえか!周りはタイ人しかいねえんだし!」

 「お前だって山手線の中で隣の外人が急に、カブキチョ・・カブキチョウ・・とかヘイセイ・・ジョガクイン・・とか呟いてたら、言葉が分からなくてもエロい店行くって思うだろ?」


小心者のパクチィらしい気の配りようだが、俺がそんなことを気にするほどキンタマの小さい男でないことはご存知の通りだ。

押し黙るパクチィの横で、挑発するかのようにひとしきりラチャダーとポセイドンと言う言葉を大声で繰り返しているうちに、電車はアソークへ到着した。


アソーク駅の階段を下りて、タイで初めての地下鉄に。

さぞニューヨークのスラムのように汚ったない様相を想像していたのだが、出来立て、といった駅構内は予想外に小奇麗にまとまっており

丸の内線なんかよりもはるかに近代的な造りになっていた。



切符代わりのトークンを受け取っていざラチャダーへ。ふと路線図に目をやると四駅先にラチャダービセークと書いてある。

間違いない、あと四駅で俺らはOPPAIが触れるのだ・・!


そんな微妙な空気を感じたのか、気付くとメンバーは皆おし黙っていた。

先程までは、あの手この手の移動手段を駆使しても結局たどり着けず、いい夢見たのか悪い冗談なんだか分からないけどOPPAIは結局お預け、そんな可能性があった。


しかし今こうして、確実にラチャダーに向かう電車に乗り込んだことで、ポセイドン行きは確実なものになった。

そう、逆に言えばもう逃げられないのだ。異国の風俗へなんの知識もない俺たちが乗り込むには、安西先生が言うところの「断固たる決意」が必要なのだ!


車掌がラチャダービセークというアナウンスを告げると、程なくして電車は緩やかに停止した。心を奮い立たせるべく無理にはしゃぎながら俺たちは階段を駆け上がった。


大きな通りに面してスーパーや飲食店が並ぶ中、なるほど彼方にはマッサージパーラーという看板がちらほら見える。ここがラチャダーだ。


 「じゃあ・・行く・・」

 「待った!待った待った待った!!!」


俺の言葉を遮ってタグッツォが叫んだ。その唇は少し震えていた。


 「あの・・無理無理、今のテンションじゃ勃たないかも知れん・・なんての?ほら、ちょっとミーティングしようぜ・・」

 「ミーティングしてどうすんだよ?乱交するわけじゃないんだから。どうせ中はいったら一人になるのに・・」

 「だからそれが怖ええって言ってんだよ!お前らは去年一度経験してるからいいよ?でもこの中で俺だけが初めてなんだぞ?少しは気を遣えよ!」


セックス直前で急にじらし始める処女のようにタグッツォがあれこれと無駄口を叩き始めたので、仕方なく目の前のカフェに入ることにした。

なに、酒の一杯でも飲ませれば気持ちも上がるだろう。今更ゴネたって遅いよ?何度も言うけど俺たちの後退のネジはもう外しちまってるからね・・。