「時間が過ぎ去って行くのではない。われわれが過ぎ去っていくのだ。」(西洋の諺)



今日で俺たちはこの島を引き上げる。

長いようで短いようで、やっぱりちょっと長居し過ぎた感もあるジャム島での45日もこれでお仕舞い

どう足掻いても来年までは来れないであろう。いや、ひょっとしたらもう死ぬまで来れないのかも知れないのだ。そう思うと急に切なくなる。


おそらく大半の人間が、この地上の楽園を知らずに死んでいくのだろう。

それはいい。だが、俺は少なくとも自分の近しい人物にはここを見せてやりたい。

自分の大好きな物を大好きな仲間に見せてやりたいと思う。でもそんな願いは、日本で暮らしている限りかなり難しいだろうな。


忙しい日々の中、どうやって日常を抜け出して来るんだ?

これからどんどん時間の自由は無くなって行くだろうし、与えられる休日も所詮は有給一週間程度。

ああ!一週間だって!?一年365日のうちのたったの一週間しか長い休みがないなんて!!何のための人生なんだ!!


そう思うと途端にそこのパームツリーでポップにクビを吊りたくなった。


クソッ!朝から気分が落ちる。


帰りたくない。


ここを離れるという事が、ひいてはタイを離れ、もう日本に帰るかのような錯覚を覚えていた。

いや、少なくとも旅の折り返し、休暇の半分はもう終わってしまったという確かな事実に俺は打ちのめされた。


珍しく早起きだった俺は、頭をもたげて一人食堂でオレンジジュースを飲んでいた。


そこに宿の看板娘、サーが来た。


「キョウ・・カエル?」


寂しそうに尋ねる彼女に俺は出来る限り笑顔で答えた。


 「そうだ・・今日でひとまずサヨナラだ。でもな、ここは俺たちの心の故郷だぜ?そして君は俺の妹だ。もう会えない理由なんて一つもないだろ?」


まるで自分に言い聞かせるかのように力強く俺は言った。すると彼女はアドレスと電話番号を書いて俺に渡してくれた。

電話をしてね、という彼女。ほとんど英語なんてわからないクセに・・。


サー。毎日ここで君は何を思って暮らしてるんだ?訪れては去っていく友人の事?遠くの恋人?

この小さい島で暮らすってのはどんな気分なんだ?それは日本にいるよりも遥かに辛い事なのか?俺に出来ることは何かないか?

わずかなオープンシーズンの間だけ遊びに来る俺たちとの時間を心から楽しみにしてくれている彼女に楽しい思い出を残すことは・・。


・・!思い立った俺はパッキングしたバックをもう一度開き、一枚のCDをプレゼントした。


「これを聴いてみて!日本の最高峰のバンドだよ!」


サーはおずおずとイヤフォンを耳にはめた。流れるは我らが「晴れのちドラゴン」


90‘UKテイストの香り漂ういなたいイントロで、一気に彼女の目つきが変わったのを感じた。


「どうよ!!??」


「・・コレ・・アナタ・・ウタッテル?ドンナイミ?」


「これか?これはな、片肺しかないクセにマラソンするっていう歌で、まあ、頑張れって事だ」


「・・・オウ・・グッド・・」


けだるい朝をつんざくソウルフルなシャウトがイヤフォンから漏れ続けた。グッバイ、マイサマーガール。


昼が近付くと、キアムからボートに乗り込むよう指示が出る。来た時と同じようにクラビ行きのマザーシップにランデブーするためだ。


焼けた砂浜もしばらくお預けだな、やっぱり寂しいや。波打ち際からもう一度振り返ると、バンガローのスタッフが手を振ってくれていた。


何度も惜しむように手を振り続ける俺たちに気を遣うかのように、ゆっくりとボートを発進させるキアム。

海岸線を少し離れると、完璧としか表現のしようのない島の全景が目の前に広がる。


やがてクラビー行きのフェリーがやってきたので、俺たちは荷物を自分自身を運びこんだ。キアムは最後まで笑顔で手を振ってくれていた。


そして俺たちの旅の一幕が閉じた。


なんとなく虚脱な気分でデッキに座り込む俺。ふと見渡すとメンバーも似たような表情をしている。

きっとみんな同じ事を考えているのだろう。以前に来た者、今回初めて訪れた者、それぞれの思い出をかみ締めているのだ。 


そこに一人だけ、空気のイマイチ読み切れないテケレツが一人ではしゃいでいた。


「おーおー。あっちの船の先っちょのほう、景色が面白そうだぜ?みんな来いよ!?」


小6の弟すら長男であるテケレツの命令は完全無視で次男の言うことしか聞かないという、

そのカリスマ、スピロヘータの如き小さきテケレツの言うことなど誰が聞く耳もとうか・・。


タグッツォが一瞥をくれると、テケレツは一人で舳先に消えて行き、暫くして、行って良かったなぁ・・うん・・などとブツブツもらしながら帰ってきた。

負けず嫌いなところがあるようだ。


こうして昼過ぎに、俺たちは再びクラビータウンに舞い戻った。タクシーの変わりに大きなバンを捕まえて、荷物ともども運んでもらう。

何故かあいのりした白人がスティーブ・ブシェーミみたいで気持ち悪かった。


ともあれお馴染みのAマンションに無事に戻って、熱いシャワーを浴びるともう島への郷愁もクソも一気に洗い流された。

なんだってあんなテレビもホットシャワーもクーラーもないところにわざわざ出向いたんだろう、そんな気さえしてくるほどAマンションは素敵な場所だ。


一息つくと、誰からともなくサクラに向かう。クラビーでやることなんてあそこでマンガ読むくらいしかないからなあ。


朝からビールを頼み、幾度となく読んだ美味しんぼの続きを読みふけっていると、息を荒くしたパクチィが飛び込んできた。


 「オゴゴォ・・バン、バン!!」

「え?何?」 

「バンだよ!バンがいた!!まだクラビーにいるよ!!」


島で吸いきったはずのボブ草を俺に内緒でクラビーまで持ってきて、俺に内緒でジョイント作って

俺に内緒でバンの幻覚を見るほどキメたのかと思い、嫌悪むき出しでパクチィを睨みつけたがどうもシラフのようだ。


パクチィによると、明日の空港までのピックアップを予約しにAマンションのすぐ傍のチケット代行なども取り扱うゲストハウスを訪れたところ、受付をしていたのがバンとの事。


にわかには信じられないが、矢もたてもたまらず俺はさくらを飛び出した。

もう二度と会えないと思っていた思い出の友人に再び会えるかもしれない、それは失った時間を取り戻すかのような気持ちだった。


Aマンションに向かう坂道の途中にあるそのゲストハウス、恐る恐る中を覗くと1年前と変わらぬ明るいトーンで


 「ハーイ!マイフレンド!!」


と呼ぶ声が聞こえた。バンだ!確かに!!


 「なな・・なぜ?バンはここクラビーを離れたってきいたけど!?」


「あーアレね?Leave(離れた)はAマンションよ。今はここのゲストハウスで働いているの」


カフェを兼業したこのゲストハウスは確かに雰囲気もよく、バスチケットの手配代行などコングロマリットな多角経営が割と上手く言っているのか、どうやら繁盛しているようだ。


しかし探していた友は実は自分が寝泊りしているすぐ傍で毎日働いていたなんて・・メーテルリンクの「青い鳥」を思い出すエピソードだ。


 「今日は17時には上がれるからディナーでもどう?」


「断る理由なんてミジンコほどもないさ。じゃあ17時にエスコートに来るよ?」


急なロマンスの予感に、俺の心は躍り立った。自分とバンとの言葉のやり取りがまるで古いロマンス映画のワンシーンのように感じた。


とうとう訪れた俺の求めていた「出会い」。今宵はスリラーナイトだぜ!?