運動の後の睡眠がこんなに気持ちがいいって事をしばし忘れていた気がする。


この島に来て以来、体は健康になる一方だな。二日前は大酒飲んで素っ裸で海岸を走り

昨晩はボブ好き草を吸いすぎて何度もダークサイドに落ちかけたり・・まあ、とにかく健康になっていると思う。


目覚めたのは15時ごろだろうか、ここに来てから時計を見る習慣がなくなったのでよく分からない。

もっとも、俺は今回の旅に時計を持ってきていないので最初から気にもしていなかったが。


日はまだ高く、島の一日の長さを誇るように照っている。

泳ぐことくらいしかやる事のない所だ、とおもむろに海パンに着替え俺はビーチに向かうことにした。


バンガローを出ると、先程とはうって変わった穏やかな表情のタグッツォがにっこりと目を細めていた。

それはどう考えてもヤケになって一発抜いた後のように見えた。


「よう、脳がマラリアにでもかかったのか?フォレスト・ガンプかと思ったぜ、そのIQの薄い笑顔。ご機嫌だな?」


と挨拶を交わすと、タグッツォは誇らしげにベビーパウダーを取り出して言った。


 「これ・・この粉は・・いいぞ・・痛みも何もかも消えうせる・・キ・モ・チ・イ・イ」


中身にモルヒネでも入っているのかと思わず怪訝な顔を向けてしまったが、どうやら何のカラクリもない普通のベビーパウダーのようだ。

一振りもらって体に擦り付けてみると、なるほど、確かにこれはいい。適度な清涼感と肌のサラサラ感が不快指数をグッと下げる。

何よりこの匂いが幼きかの日を思い出させるのだ。ああ・・こぶな釣りし・・いや、俺は池袋生まれだから釣りはしたことねえな。

あのコンクリートジャングルでやったことはと言えば、立ち読みしあの本屋、うん、こっちのがしっくり来るな。

ちなみにタグッツォは関東近郊の陶芸で有名な町(村?)出身って言っていたから、粘土こねしあの村、ってとこか。


 「おお!こりゃあいい粉だ!お前、いっそ鼻から吸ってみろよ?」

 「いやあ、もったいないッスよ!!げへへ!!痒くないったら痒くないィィィ!!」


痒かった頃のほうが、抜き身の刀のような危うい緊張感があったのに、白い粉のせいでもはや完全にいつもの腑抜けに戻ってしまった。

まあ、遊びに来てるんだからいいんだけどさ。

ちなみに今日この日より、ボロ雑巾のようなタグッツォをゾンビのように蘇らせた功績を称えて、ベビーパウダー改めゾンビパウダー(通称ゾンパウ)と呼ぶことに決めた。


人影のないビーチを独り占めしたような気分で泳ぐ。この広大な海が全て自分のものになったような高揚感。透き通る水。小魚の群れ。

この海に浮かんでいると重力からさえも開放された自由を感じる。もう帰りたくねえなあ・・。


ふとビーチの端に目をやると遠くにゴミのような黒い点がかすかに見えた。目を凝らすとどうやら八雲がマジでペットボトルでイカを釣っているようだ。


面白そうなので八雲の元に近付く。このソーラーレイのような殺人的な日差しの中、日焼け止め一つつけぬ彼の体は、色白なせいもあって早くも真っ赤にただれていた。硬派って言わないッスよ!そういうのは!


 「・・釣れるんスか?」

 「・・いや。」


投げられたルアーを再びペットボトルへ手繰り寄せてながら八雲が答えた。

しかしその表情に諦めはなく、むしろここに来てようやっと趣味の釣りも出来て大満足、といった喜びを浮かべていた。


 「チッと俺にもやらして下さいよ?」


言うと思ったけど出来れば言わないで欲しかった。そんな気分が一気に八雲の顔を曇らせた。

糸を切ったり絡ませたり、ルアーをなくしたり根かがりをおこしたり・・あからさまに迷惑な素人によるハプニング

それら全てを高確率で引き起こす可能性を持つ悪魔ッ子、それが俺だ。


 「心配無用ですよ?割と釣りはたしなんだ方なので・・。」

「・・いつ?聞いたことないんだけどそんな話・・。」

「一緒にビデオ屋で働いてた頃やったじゃないですか?勤務中に。」

「ゲームじゃん!!生身の釣りはやったことないの!?」

「環七沿いのあの、スゲエ汚ねえ釣り堀には二回くらい行きましたね。」

「あそこか・・いつ行ってもフナが弱ってて死にかけてるとこじゃん・・。」

「あそこで5ポイントの大物を釣って、それでどんぐりガムを貰いましたよ?」

「・・じゃあ、やってみなよ・・」


ルアーに手をかけて綺麗な放物線を描くように放り投げる。シュルルルッ!っとペットボトルから糸が伸びていく音がたまらない。


しかしそれは八雲がやった時の話。同じことを俺がやると、何故か足元から20cm程度の所にルアーが着水するのだ。


 「力はいらないから、リリースのタイミングを・・」

「分かってます・・分かってるんですよ!!」


力はいらない。生来の負けず嫌いから、仕事も恋愛もゲームも食事も全て力づくで片付けてきた自分にとっては、もっとも苦手とするジャンルのアドバイスだ。

五分も経たずに飽きた俺は、竿が悪くて実力が出ない旨を伝え八雲に釣具を返した。


 「あんまり釣りは舐めて欲しくないんだよね・・。」


去り際に、温厚な八雲とは思えぬ嫌悪と蔑みに満ちた発言を浴びせられ、反省。フンッ!!釣れなきゃ面白くねえ!!


夕暮れも近づくと、俺たちの足は炊き出しを求める浮浪者のように自然とビッ クホープ跡地へと誘われる。

すでにタグッツォとパクチィがフライング気味に始めていたので、負けじと俺もボブ好き草に火をつける。


熱い煙を胸いっぱいに入れて、心の中で「ザ・ワールド!」と叫び息を止める。


.4.3.2.1・・そして・・時は・・動き出す・・!


昨日はタイ産のボブ好き草のポテンシャルが分からず、赤子が母乳を求めるようにチューチューと吸いまくったせいで体がえらい事になってしまった。

どうやらこれはだんだん効果が現れて来るようなので、今日は少しずつ吸ってじわじわ変化を楽しむ事にする。具合悪くなるのはイヤだしな。


そんな俺の考えを真っ向から否定するかの様にテケレツは、げっ歯類のように頬を膨らませて先程から無心に煙をためている。


「あーだめだ!タバコ吸い慣れてねえから肺に入れるってのがどうもうまく出来ん!!」


無気力の精霊のようなテケレツがあれこれと創意工夫を凝らし、失敗するたびに嘆き、しかしなおも改善しようとするそのあくなき姿勢に、なんとなく俺は感動した。

うーんこれがポジティブ・バイブレイションっていうのかしら?


「・・食ってみれば・・?」


パクチィが唐突な提案をした。素性も知れぬタイ人のプッシャーから手に入れたどこで精製されたかも分からん汚え草を、まさか口に入れる様な痴れ者など、少なくとも俺の知る限りこの地球上には存在しないと信じていたが、聞くが早いか、テケレツは牧場の子牛のようにムシャムシャと草を食みだした。


「・・どうだよ・・うめえのか?」
「おお・・バジルみてえだ。」
「バッッッジィィルゥゥ!!??グッハハハッハ!!」


バジルがツボにはまったのか、俺とパクチィは思わず爆笑した。


その瞬間だった!


テケレツが見たこともない笑顔、いや、あれは笑顔というのか?筋弛緩剤で洗顔したかの如き、緩みきっただらしない笑顔でテケが雄叫びを上げた!


「う・・うひひひひひ!お前らッ!お前らッ笑いすぎなんだよゥ!!」


煙なんて実体のない生易しいものではない。胃に固形物を直接流し込むという直腸浣腸のようなダイレクトさは、予想以上の効果を表したようだ。


「お・・・お前こそ笑いす・・・ぎ!ウフフウフフ!!!」

「ヒヘヘッヘヘヘエエエエエ!!ニヘェェェ〜!!!」

「ノォホホホホ!!!ノォホ!!」


上がってる奴を見ると上がる。俺たちはブースターとなったテケレツのせいで物凄い多幸感に包まれ、笑いのリミッターは少し揺らされただけでニトログリセリンのような大爆発を起こしてしまう。


夕暮れに照らされる楽園。今日も静かな島の端で、廃墟のひび割れたコンクリの上を釣り上げられた魚のようにヒッヒヒッヒ言いながらのたうち回っているホモ疑惑の尽きない男五人。


うむ気持ち悪い。


ふと、逆光の中で何かを叫ぶ八雲が見えた。

「・・たぞ!!!釣れたぞーッ!!!」


そう叫ぶ八雲の、誇らしく掲げられた右手になんとか空ろな目でフォーカスを合わせると、なるほど、イカの子供の子供みたいなものがルアーに引っかかっていた。


「ヲ・・メデト・・ヲ・・」


最後まで言葉に出来たか分からないが、力いっぱい両手を突き上げる八雲の、後光が差したあの姿はまさに彼の人生のハイライトだった。

イカを釣ったくらいで人生のハイライトにされちゃ、残りの人生生きる気が失せるかも知れないが、あの時俺は確かにそう感じた。うん、格好良かったなあ・・。