二月九日(その三)

 

市内までは一時間ほどだった。

 

 途中、活気の溢れる屋台や、華僑の店の漢字で書かれた看板、何故か一軒置きに馬鹿みたいに並ぶセブンイレブンを眺めるにつれ、バンコクに来た、という実感が湧き上がる。

 

カオサン通りと直角に交わるチャクラホン通りにバスは着いた。

 

荷物を降ろし、とりあえずは宿をとろうと、カオサンには寄らずに2ブロックほど離れたチャオプラヤ川というドブ沿いにある宿、K.Sゲストハウスを目指す。

この宿は去年パクチィと朽犬と三人で来たときに見つけた、まあ、一見ではない勝手のよさのある宿だ。

 

余談だが、去年ここを見つけるにあたっては軽いドラマがあった。

 

 前述した通り、俺は十九歳でタイに来て以来、毎年欠かさず冬の終わりの一ヶ月はアジアで過ごすことにしている。

そしてその頃はバンコクに帰ってくる度に、同じくこのチャオプラヤ川沿いにある「ジプシー」という宿に泊まっていた。 

 

初めてのタイ旅行で知り合った人に偶然教えてもらって以来、カオサンの喧騒から離れた落ち着いた雰囲気がすっかり気に入ってしまい、何より、宿の奥にある吹き抜けのテラスで夜な夜なバックパッカーが集い、飲んで過ごすという環境が大好きだった。

 

今にして思えばちょっと青臭いかもしれないが、色んな国の色んな人間と出会い、なれない英語でコミュニケーションを取ることが当時とても新鮮で、日常から外れて別世界に来ることが出来たという喜びを心から感じる瞬間でもあった。

 

当時好きだった女の子とも泊まったし、行きずりの人間と泊まったこともあった。ゴーゴーバーの女に入れ込んだ男もいたし、小説家を名乗るイギリス系香港人やドラッグ中毒でフラッシュバックを起こして迷惑をかける奴もいた。思い出だけが雪ダルマ式に増えていく、そんな場所だった。

 

 俺はどうしても親友であるパクチィ、朽犬にもここの宿を紹介したくて、去年カオサンに到着するや否や、半ば強引にジプシーまで彼らを先導した。

 

 バーミーというタイのラーメンの屋台が見えた。いつもジプシーの前に出している店だ。

 

帰ってきた。

 

 あの角を曲がれば・・ジプシーが見える。

 

     ・?

 

あの角を曲がれば・・・? 

 

 角の先には原爆ドームのような廃墟があった。

 

 事態が飲み込めず、思わず膝を付いた。え?何コレ?

 

 遅れて追いついたパクチィと朽犬が目を見開いた。欠ける言葉が無いといった表情だ。

 

慰めなんてよしてくれ・・今、その手で・・肩を抱かれたら・・と、自殺寸前のグリフィスの様な気持ちで振り返ると、爬虫類の様に冷血な公務員を髣髴とさせる口調で、朽犬は言った。

 

「ダメだなこりゃ、早く泊まるとこ探そうや。」

 

同じく、小さい頃の高熱が原因で。優しさを司る脳神経に甚大なダメージを受けたパクチィが、間髪いれず言い放った。

 

 「まあ、ケシシッ!こりゃねえ・・無理だネエ・・ケシシシッ!!」

 

思い出は、誰のものでもない自分だけのものなのか。彼らに同じショックを共有させることなど望むべくもなかった。

俺は、「おもひでぽろぽろ」のワンシーンよろしく「泣くのはヤだから笑っちゃおう」と、ひょっこりひょうたん島を心の中で口ずさみ、さっさと先を行く彼らの背を、少しぼやけた視界の中追いかけた。

 

 2004年1月、ジプシーは瓦礫と化した。

 

 と、そんな放心状態の状況下に加え、時間も遅くなってきて辺りの宿が次々に満室になっていくという焦りの中、うまく三人部屋の空きがあると言われ、ロクに確認もせずにチェックインしたのがこのKSゲストハウスだった。

 

「ブスだけどせっかく告白してくれたし・・」という心境が一番近かった。

 

 泊まってみるとまあ、全く加減が効かないため、怖くてつけっぱなしで眠れないクーラーと、ウォシュレット程度の水量のホットシャワーが一応備えられてたので、俺は二つ星をつけてやった。

 

 そして今年もまた、ここに戻ってきたというわけだ。

 

今回も三人部屋、それも二部屋も運良く空いていて、俺たちメンバー6人は宿を探す苦労もなくチェックインできた。

 

「割ときれいな部屋だな」

 

テケレツとタグッツォが呟いた。

 

そうだろう、そうだろう。「今日未明、クゥエートで空爆がありました・・」のニュースの時に決まって映るビラやゴミの舞う崩れた家、そのビジュアルに限りなく近い彼らの部屋に比べれば、決して文句など出るわけがない。

 

 俺は荷物を部屋に置くと、ファミコン「バードウィーク」のヒナ鳥のごとく食事をせがむメンバーを取って置きの店に連れて行ってやることにした。 

 

 ここからがタイの始まりだぜ!?